2007年03月27日
哀愁のオジサン
昭和四日市石油のテニスクラブの皆さん。
一般の会社なのに、どうして車椅子の人達と一緒にテニスを
するようになったのか、知らなかったのでオジサン達に聞いてみました。
若い頃、オジサン達はみんな、バスケットをしていました。
昔は車椅子のスポーツといえば、バスケットくらいしかなかったんです。
でもある日、テニスを知りやり始めたらしい。
その時教えてくれたのが、このテニスクラブのリーダーのIさんだった。
それを機会に一緒にやろうという話になったそうです。
20年くらい前の話。
まだ、ニューミックスなんて言葉もない頃です。
それから19年、ずーっと続けてくれているのです
このIさんは、斎田君のコーチもしていました。
今でもとても応援しています。
オジサン達も負けてはいませんが
オジサンが話してくれました。
「斎田は、不器用だった」と。
だからこそ、練習して、練習して、人一倍練習して、
あそこまでになった『努力の男』だと。
だからなんでしょうね~、オジサン達。
彼が一生懸命、頑張ってきた姿をずっと見てきてるから。
これが、器用な人で、なんでもすぐにできてしまうような人だったら、
こうはならなかったと思います。
「北京でも金メダルや!」
オジサンは力説します
でも、そうかと思うと
「斎田、
早く帰って来んかなあ~」 と
し~んみりしちゃってるんですよ
一般の会社なのに、どうして車椅子の人達と一緒にテニスを
するようになったのか、知らなかったのでオジサン達に聞いてみました。
若い頃、オジサン達はみんな、バスケットをしていました。
昔は車椅子のスポーツといえば、バスケットくらいしかなかったんです。
でもある日、テニスを知りやり始めたらしい。
その時教えてくれたのが、このテニスクラブのリーダーのIさんだった。
それを機会に一緒にやろうという話になったそうです。
20年くらい前の話。
まだ、ニューミックスなんて言葉もない頃です。
それから19年、ずーっと続けてくれているのです

このIさんは、斎田君のコーチもしていました。
今でもとても応援しています。
オジサン達も負けてはいませんが

オジサンが話してくれました。
「斎田は、不器用だった」と。
だからこそ、練習して、練習して、人一倍練習して、
あそこまでになった『努力の男』だと。
だからなんでしょうね~、オジサン達。
彼が一生懸命、頑張ってきた姿をずっと見てきてるから。
これが、器用な人で、なんでもすぐにできてしまうような人だったら、
こうはならなかったと思います。
「北京でも金メダルや!」

オジサンは力説します

でも、そうかと思うと
「斎田、
早く帰って来んかなあ~」 と
し~んみりしちゃってるんですよ
